日本における外食産業の歴史「パート3」

日本における外食産業の歴史「パート3」

前章からの続きになりますが、鎖国政治が終焉を迎えて一挙に世界に向けて門戸を開放した日本には世界中から新しい形態の文化が上陸してきます。

 

この時代には帝国ホテルや横浜のニューグランドホテルなどがフランス料理を打ち出して海外から日本に訪れる要人たちの接待や一部では有りますが日本の要人たちの接待用料理として好評を博しました。

 

しかし、この時代のレストランや料亭はごく一部のエリート達のためのものでありますので外食産業と言うには一般庶民からはかけ離れたものでした。

 

 

 

外食産業と言う表現が使われるようになったのは第二次世界大戦が終わって、国の戦後の復興が盛んになり昭和39年の東京オリンピックに引き続いて昭和45年の大坂万国博覧会が開催された時期からの事になります。

 

アメリカを中心とする外食産業が紹介されて、日本にも一般大衆にも気軽に使える大衆レストランが生まれたころに外食産業と言う表現が経済雑誌などでしきりに使われるようになりました。

 

阿具楽-agura-

 

この時代にはハンバーガーの様なファーストフード店や家族向けのレストランとしてのファミリーレストランも生まれて日本人の外食志向に火が付きます。

 

この傾向に対して日本の従来の飲食店も黙っているわけではなく様々な工夫を凝らして日本独自の「回転寿司」も誕生させました。

 

また、海外からの日本に対する攻勢ばかりでなく日本人の中でも勢いのある若者たちがアメリカにも日本料理の普及に乗り込んでいった時代でもあります。

 

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昭和46年には日本人として初めての本格的な日本料理「KIKU OF TOKYO」をサンフランシスコのヒルトンホテルに開業した若者兄弟や、ニューヨークに鉄板焼きステーキ{BENIHANA OF TOKYO}を開業した若者も出てきました。→次章へ続く